LINE/コラム of ワタシ×家族×ドキュメンタリー

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ワタシ×家族×ドキュメンタリー

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  LINEについて
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小山花穂子(販売員)
私は自分自身が傷のようなものだと感じています

傷跡ではなく、古いけどいつも新しく血がにじんでいる切り傷です
一部かさぶたになってるところがあったり新たに切れて血が
にじんでるところがあったり膿が出てたりして、とても醜くて
汚くて腐臭を放っているような傷です

映画全体に、小谷さんに、娼婦に、お父様に私の姿を見ました

そして色々な方が言っていたように、傷も含めて自分なのだと今まで
つけた傷が私を形作っているのだと、体につけた傷や思い出したく
ない程愚かな自分の言動など、私の傷全てを肯定する方向に生まれて
初めて気持ちが向かいました

私自身が傷のようだと最初に言いましたが、その醜い傷が優しさや
気品や強さを生むならば醜く汚い傷を愛したいです

小谷さんは良く私に誉め言葉を下さいますが、もし人から見てその
ように映るものが私にあるのならそれは全て今までの傷が作った
のだとそのように考えられればと思いました

小谷さんは確か舞台挨拶で2回とも「この映画が傷を肯定する事に微力
ながら力になれれば」というような事をおっしゃいました私にとって
『LINE』は確実にその大きな力になりました

小谷さん、ありがとうございました

中村のり子(場外シネマ研究所)/あるということ~『LINE』に寄せて~
人の心情は不可思議だ。あることについて、憑き物が落ちたように思いを変える。
そういう節目は誰にも訪れるけれど、どんなものか表すのは難しい。

小谷さんもまた、彼自身の呪縛から解かれる時が来た。
それをここまで生理的に、知覚的に刻印してしまったのは稀有な行為だ。
“見ること”自体が彼にとっ て必要な方法だったから、
“見ることしかできない”映画そのものと存在が同期する。
私は小谷さんのたどった状況を傍観したのではなく、
彼が直面した視界へ引きずり込まれたのだった。

この作品をつくっていた時、小谷さんは身の回りのことが頓挫して、進めなくなっていたという。
そんな彼の内情が、黙って留まって見つめ続ける数々のショットを生んだ。
女性の体をじっと見て、傷を探して、“ある”を確かめる。
「理由のない憎しみ」と本人が打ち明けた通り、
沖縄・コザの撮影をする前の小谷さんは“ない”を彷徨っていたように感じる。
そこで出会ったのが、女であることと、体があることを役割とする娼婦たちだったということに、
彼のつくり手としての空恐ろしい直観が表れている。

私が想起するのは、男の漠然とした“ない”に対する、女のやはり漠然とした“ある”だ。
男性には持って生まれた喪失感が、女性には実感が備わっているような気がする
(だから体の特徴はその逆のかたちになっている)。
小谷さんがどう思うかはわからないけれど、映画の中での彼の言動はそうした本質を突いているから、
その独特の家族関係とはゆかりのない私であっても、瞬時に納得してしまうのだ。

そして小谷さんは、すべてを映画という手段で消化していく。
お父さんへの愛憎も、女性たちへの探求も、恋人とその息子への願いも、
小谷さんはカメラで撮るという行為と結びつけていく。
とにかく映像を拠りどころにしているが、発せられ続ける切迫感によって、
ただスタイルのために映像を並べた作品とは隔絶している。
彼のやり方は残酷で乱暴なほどで、まさしく映画をつくる人の眼を持つ。
受け入れられないけど受け入れたい、何とか好きになりたいという思いで撮影する、
という彼の視線を通して、私は時に嫌悪感を覚えてしまう自分自身の“見る”という行為を、再び信頼したいと思えた。
コザで最後に登場する女性と交わしたような、温かい“見る”だって成り立つのだから、と。

傷をつけても、そちらに体を向ける。当たり前のことかもしれないが、誰でも出来るとは限らない。
小谷さんは、あんなにナイーブな佇まいをしながら、自ら“見ること”に挑み続ける人なのだ。

村山奈々子(画家)
「LINE」は終始、観る側に絶対的なものを提示することはない。
だけれど一瞬たりとも、監督の思いが途切れることも、薄れることもない。

曖昧なのに、緻密で濃密な瞬間が、静かに続く。
目が離せなかった。

人は歪で脆くて、健気なものだなと思う。
そしてそれらが孕む美しさを、
あるがまま表現する監督の審美眼の源を辿りながら、
観る者は、自らの傷へと向かうことになる。

映画の人々と私達は、解り合うことは出来ないが、
そうして互いの傷と傷で、微かな線となって繋がることが出来る。

私は、彼の映画で、
親も個であり、彼らの世界があることを理解し、
そして、他者と繋がることを否定しなくなった。
本当の意味で、受け容れるということは何かを教えてもらった。

三宅流(映画監督)
『朱鷺島』の宣伝を手伝って頂いている人が公開に参加している作品で、
私も試写会で作品を観させてもらいました。

戦前から沖縄出身の移住者が多い大阪市の大正区で育った監督が自分のルーツ、
自分自身を見出すために大正区の路地や沖縄のコザ吉原の売春婦の裸体に次々とカメラを向けていく。
ストーリーは随分以前に観たものなので正確には覚えていないし、この説明も正確ではないかもしれない。

一種のプライベートドキュメンタリーであるが、
通常のプライベートドキュメンタリーであれば、
そこで起っている事実や、そこに巻き込まれていく監督自身の身体が晒され、
ある赤裸の事象が立ち上がっていくものであるが、この作品は少し異なる。
監督が対象に向ける視線、カメラのありかたそのものが赤裸の事象を明らかにしていく。
カメラの前で監督自身が大立ち回りを演じるのではなく、
カメラの、視線のありかたそのものが非常に「プライベートな」赤裸のものを表している。

最も顕著に現れたのが、ある売春婦にカメラを向けたシーン、バストショットか
もしくはクローズアップでとられた彼女は何も語らず、カメラを正視している。強い視線だ。
思わずこちらもたじろいでしまうが、カメラ自身がたじろいでいるのが感じられる。
彼女の強い視線に射抜かれ、監督はたじろぎ、うろたえている。
彼女の視線にカメラの視線は完全に打ち負かされている。
そうしたことをあらわすのに、監督自身が登場して無様な姿を晒すことで表現するのではなく、
カメラの視線だけで表現しているのが興味深い。
例えば原一男であれば自らの姿をもさらしつつもっとその状況に何かを強く仕掛けていくだろうし、
アラーキーなんかであれば、視線自体でもっと強力にしかけ、
対象のせめぎ合いの中で何かを爆発させようとするだろう。
そうした猛者どもに比べるとあまりにも視線が弱く、またまっとうである。
つまり、このカメラは対象を写しているのではなく、
その視線の弱さを通じてカメラを持つ自分自身の赤裸の姿、ありようをスクリーンに晒しているのだと思う。

あまりにも無媒介に他者を通じて自らの姿をさらそうとするあり方には良くも悪くも危うさを感じる。
新しい内向のあり方だと思う。かつての内向は自らを完全に他界から閉ざして限りない自己対話を繰り返していくか、
他界との関わりから自らを見出すにしても、閉ざした自己から醸成されたなにものかを媒介にして、他者と関わろうとしてきた。
しかし、この作品では、自己を見出すために、余りにも無造作に他者を自らを映す鏡と捉えようとしてるように思える。
こうしたあり方は、テーマは全く異なるが、以前に公開された『バックドロップクルディスタン』にも感じた。
漂う視線。根を持たない視線。危うい。
スクリーンを通じて、こうした視線にしばし身を委ねてみると、
そこにしか見えない何かを体感することになるだろう。

猪本麻美子(会社員)
作品を拝見してやはり一番印象に残ったのがひとつひとつのシーンの美しさです。
場面の記憶への焼き付き方が映像作品じゃなくて写真作品を見ているようで…。
時間の経過に流されず、ひとつひとつのシーンがしっかりとした手応えを持って焼き付けられました。

写真が好きで写真展によく行くのですが、なにげない日常の中にドラマティックな瞬間を見つけて捉えることに関して
写真家はほんとに天才だなっていつも感嘆させられて帰ってきます。
その時と同じ感情を小谷さんの作品に持ちました。かなわないなって。
…もちろん、最初から張り合うつもりはまったくないんですけど(笑)

「なんとなく綺麗」なふとした瞬間とか、隣にいる人の表情とか感じることはできても
それらはするりと逃げていってしまう。
だから代わりに作品という形で表現してくれる人がいると「そうそう!」って共感しちゃいます。

とくに印象的だったのは冒頭、画面右手から自転車に乗った小谷さんが飛び出し走って行くシーン
(見た瞬間、私、この作品好きかもしれないと思いました)、
眠る息子さんを見つめる小谷さんが鏡越しに映るシーン、
噴水で遊ぶ子どもたちに惜しげもなく浴びせられていた水玉の光景(あまりの綺麗さに本当に鳥肌がたちました)。

「LINE」では主人公を取り巻く状況や作中に映されるたくさんの傷を描きながら
本当に伝えたかったのは「絆」と「縁」というふたつのLINEだったように思いました。
まっすぐだろうと曲がっていようとも縦に横にと伸びていくLINE。
縦はお父さん、小谷さん、息子さんと続いていく親子の絆。
横は大正区から沖縄へという空間の横移動、沖縄で重ねていった娼婦たちとの縁。
人は常に縦と横のラインに導かれながら翻弄されながら生きているのかもしれせんね。

自分という存在を紡いでいる縦糸と横糸を捉えようと向き合う小谷さんの眼差しが伝わってきました。
沖縄のコザ吉原の女性たちがこちらをじっと見つめるシーンも小谷さんの真摯な姿勢が伝わったから撮れたものかもしれませんね。

堅すぎず、かと言って笑ってごまかすわけでもなく
ただ見つめる視線の真っ直ぐさには見ているこちらも気づかされるものがありました。
私はあんな風にただまっすぐに誰かと何かと向き合っているだろうかと。
カメラを挟んで見つめる女性たちの瞳は不安げに揺れたり、
こちらをしっかり見据えているように見えたり揺れ動く感情が伝わってくると
本当に裸の人間と対峙していることに気づかされすごくリアルな印象を受けました。

…最後に。
酔っ払いってなんだかイタコさんみたいですよね(笑)なにかが降りてきているというか…
それが自分以外のものが外から降りてくるのか自分の内から降りてくるものかの違いだけで。

木村文洋(映画監督)/『LINE』まで―小谷忠典についての覚書
(1)―
2002年―22歳の学生の夏、自室でVHSの山を一つ一つかきわけるように観ていた。
関わって3年目になる京都国際学生映画祭のコンペティション審査のためだ。
コンペ部門ディレクターになって2年目の夏だった。
海外からも送られてくるようになった星の数ほどの学生自主映画は、大別して三つに分けられていた。

 ただの遊びのもの / 完成度がやたら高いが、どこかで見たことのある映画 / それ以外のものの多くは
一番目・二番目との出逢いが大半。暑さにうだりながら一本のVHSを手に取った。―76分。長いな。
短いのばかり観てきたから、そろそろ長いのいっとくか。同輩の2人に同意をとるように、そのVHSをデッキに入れた。

 深夜の大阪のどこかの駅にすべりこんでくる電車。ピアノの音。路上に寝転がっている中年の女性と、それを見つめる短髪の少年。
夜がキレイに撮れている技術が高いのは一見して分かったが、
どこか「ああ、またか」という印象が拭いきれず始まったのを覚えている。よくあるようなドラマだと思ったのだ。

 しかしそれは、徐々に観始めていくうちに崩れていった。まずなんだか分からないが、とにかくカメラが近づかないのだ、人にも風景にも。
それでもって、人がなかなか喋らない。これが最後まで続くなら「実験映画」になってしまうが、
何だかそれ以前に「カメラが人に近づくことを恐れているのではないか…」そんな予感がした。
そしてその僕の予感は、何気ない1シーンで確信に変わった。
銭湯の脱衣場で、主人公と友達とがマッパ(真っ裸)で友達の話かなんかをするのだ。
その瞬間、ああ、この監督は映画に撮っている場所と人と容易に近づけないが、並大抵ではない強い”絆”を結んでいるのだ、と。

 それから映画は後半に向かうに従って静かに瓦解していき、夜の街に燃え上がる火と主人公の強烈な印象を残して、終った。


 観終った後、一緒に観ていた相棒は感想を先取りするように「こう言う感想もなんだが、俺は好き」と言った。
「なにがいいんかな」と僕は返す、「カメラいいよな」「うん、カメラがまずイイ」…そんなふうにして、観終わった衝撃を一つ一つ言葉にしていった。

 映画の題名は『子守唄』、監督名は……小谷忠典…おだに、ただのり?…読めないな、珍しい字だな、と思った。


 しかし審査が進む過程では議論は難航した。それは、冒頭で感じた「ああ、またか」―。
どこか頑固なまでに古めかしい映画へのアプローチ、それは何かから文法を借りたものではないのか?そういう意見も出た。
これだけ映画があらゆる技法やアプローチにあふれる中で、ちょっと朴訥過ぎる。それに対してなかなか返せない僕の反論。
しかし、それもひっくるめて今年の映画祭の顔の一つにしたい、と再三転覆した議論は結論がつけられた。
それでも、一年前にコンペティション最終審査で審査員の方々を前にして論破されまくり、
ほとんど失語状態に化したトラウマがぬぐえない僕は、この監督に何より会っておきたいと思いVHSに記された連絡先を調べた。
その時初めて小谷忠典を こたにただすけ、と呼ぶことを知ったのだ。電話口で、「いま何されているんですか?」と僕は聞く。
「いや、就職活動を」と実直な声が返ってくる。「就職なんてしないで下さい、小谷さんは映画つくってくださいよ」
無責任に呟く僕に、監督は少しひきながらも、はい、と優しく笑っていた。


(2)―
 しかし…大阪駅の噴水で待ち合わせている遠目の小谷監督と、髪を伸ばした主演俳優とは決してガラがいいものではなく
不良っぽい雰囲気を漂わせていて、近寄りがたかった。主演俳優がバイトしているという喫茶店へ移動する。
話し出すと一転して、二人が何より無邪気に映画が好きなのを知った。一年前の映画祭のカタログとかを渡すと、キャッキャ喜んでいた。
黒沢清『カリスマ』を観たとき、ショックでその夜眠れなかった、と小谷監督は話した。
なんだかとても幸福な気分でそのまま別れて帰った。それでも審査への不安は消えなかった。


 万田邦敏(映画監督)、篠崎誠(映画監督)、藤岡朝子(山形国際ドキュメンタリー映画祭コーディネーター)―各氏との最終審査の日―
それは真夏の京都・太秦付近のスタジオで行われた。数時間にわたる議論の中―僕の脇には、暑さとは違う汗がにじみでた。
やがて『子守唄』に移った。丸二日かけて書いた批評文を元に、プレゼンする。
まず藤岡氏、「わたしはイヤだと思いましたね。暗くて、重くて…それで主人公は何も出来なくて。
君はそこで何をしているの?という思いがあった」という言葉が出た。しかし…と万田監督が、その後を続ける。
「そういう批判点も、何より下手なのも分かるし、どう撮っていいかも多分分かっていない。
しかし、それでも分からないけれどとにかく撮ってみたい、ていうのを感じたんですよ。
間違っているか間違っていないかは別にして、本気で撮りたい、ていうものがあるのを感じた。
凄い猥雑な印象のある1シーンがあるんですが、あそこで…」
やがて篠崎監督から「お二人のご意見は本質的な批判と思いますが、それでも主人公の面構えがよかった。
こいつ、いい顔してるな、と。それだけで最後まで観る気になった」。
 結果、『子守唄』はその年、グランプリ該当なし/準グランプリ4作、という異例の結果の準グランプリの一本に選ばれた。
複雑すぎる結果だったが監督に電話で伝えると、「やった」と無邪気な声が返ってきた。「吉村(主演俳優)、あいつのお陰や」と。


 映画祭本番には、ヤンチャな吉村君、監督をはじめとする大勢のビジュアルアーツの優秀そうなスタッフ、
そして強面の役者に「お前、そこ座ったらあかんて」と兄貴のように説教する小谷監督ら、大勢がつめかけた。
大勢のスタッフを引き連れて夜の京都を出る小谷さんは帰りがけ、「木村さん、大学出たらどうするん?」と聞いた。
「うーん…映画やろうと思ってます」と応える。「一緒に映画つくりましょうよ」小谷さんはそう言った。
光栄すぎる言葉にはにかみながら、社交辞令と思ったが、
そのすぐ後、小谷さんが次撮ろうとしているシナリオを読んで欲しい、と呼び出され、また大阪の喫茶店で会った。
それから僕は大学を出てすぐ、小谷さんの新作撮影現場に助監督で入ることとなった。
「経験ないですよ」に、小谷さんは「そこにいたらええねん」と返した。

 2004年3月、大阪の撮影場所となる、春先の寒い家屋で我々は『いいこ。』の撮影をした。
10名を越えるスタッフが日々入れ替わりながら、『子守唄』の続きを撮っていた。
その現場のチーフ助監督―橋本幸樹さんは、小谷さんの専門学校時代の2つ上の先輩にあたったが、
「小谷の熱意にやられてね」と仕事を辞めて大阪に戻ってきていた。
橋本さんはメンバーの中でも長年のプロ経験を生かして後輩のスタッフを引き締めた。
厳しい人だったがお酒が好きで、毎晩撮影が終るとコンビニからクラシック・ラガーを買ってきては
それを呑んでスタッフらと柔和に笑っていた。
僕も呑む方なのでその場にいつもいたのだが、いつなのだろう、橋本さんが「小谷が酒を呑んでいるのは見たことがない」と言ったのは。
そう言えば小谷さんは僕に出会った時から優しかったが、一緒にいて僕が泥酔しすぎると露骨に機嫌が悪くなる時があった。
そして撮影の中ごろ、小谷さんと飯を食っているときに「親父がアル中なんですよ、」という話を聞いた。
酒弱いかは分からないんですが、飲めなくてね、と小谷さんは言った。
思えば、映画撮影中に幾度か泊めてもらった小谷さんの家は、
彼の部屋が足の踏み場がないほど散らかっており、2階、3階とある階上からは人の気配も声も聞こえてこなかった。
なにか僕には分からない、ボカン、と空いた強烈な「不在」のようなものを感じたのを覚えている。


(3)―
2006年、出逢ってから4年ほどが経った。
小谷忠典は『いいこ。』でぴあフィルムフェスティヴァル招待・シネ・ヌーヴォ連日満員動員など、
自身が夢だったという実績をどんどん形にしていった。
僕が初めて電話した時に夢想していた「映画つくり続けてください」は実績と一緒に持続していった。
小谷さんはその度に僕に逐一報告してくれ、京都と大阪のどちらかでたまに会った。
こんなことがあった。夜をだいぶ回った頃、「今から行ってもいいか」と小谷さんから電話があった。
車で京都へ来ていたのだという。いいですよ、と応える。
それからいくらかして、あの『LINE』に出演されている彼女さんと祥太くんとが、小谷さんに連れ立って来られた。
…六畳間の、これまた足の踏み場もない男の部屋に。
しかし彼女さん、なんの屈託も無く僕の部屋のベッドかなにかに座られて、祥太君がぴょんぴょん飛び跳ねるのを黙ってみていた。
それが3人揃って、に対しての僕の初対面だったのだが、なぜだか不思議な感じもし、羨ましかったのも覚えている。
自分の大事なものをすぐに人に見せられる小谷さんと、それをどんな状況でも楽しんでいるお二人とが。

それから程なくしてだったと思う、年末に「沖縄へ行かないか」と誘いのメールがあった。
小谷さんが沖縄へ幾度か撮影で行っていたのは知っていたが、金もないし、なんでまた、という誘いだったのを覚えている。
しかしちょうどその頃、9年住んでいた京都を『へばの』を撮るために離れることを決めた僕は、ただの勘でついていった。
朝、大阪のどこかの駅で待ち合わせ、長い電車に二人で乗った。
お互い前の日まで何かしていて、ひどく寝不足だったのを覚えているが、
小谷さんは電車の中でひっきりなしにお母さんのこと、お父さんのこと、今撮る映画のことを話した。
僕は作品の話、核心めいた話というのはなかなか人に話せない方だ。喫茶店で差し向かいでも話せないときがある。
周囲―というか、一人でも部外者がいると目が気になって自分の核心をさらけだすことが怖くなる。
だから、どんな場でもぱっと自分の裸身をさらけだせる小谷さんが凄いな、と思いながら、空港までの移動をしていたのを覚えている。
小谷さんが撮影でたびたび沖縄へ行っている、ということは知っていた。
しかしお父さんを撮っている、ということはそのとき初めて聴いた記憶がある。
空港で沖縄行きの飛行機を待ちながら、小谷さんは「お父ちゃん、好きなんやけどなあ」と様々な思いの後に苦しそうに結んだ。

曇り空の沖縄へ移動して一週間、僕らは本当に気ままにそれぞれ別行動を取っていた。
僕は辺野古へ行き、そこで知り合った運動家の大学の講義を覗いたり、
海軍基地の近くの金武の無人の歓楽街を歩いたり、一日中バスに乗って無為に過ごしてしまう日もあった。
小谷さんと一緒になるのは夜になってからだった。
近くの居酒屋で沖縄の魚を食ってからコザを歩き、そして吉原へと歩いていった。
そして吉原へつけば、どちらから決めたルールでもなく、そこで別れた。小谷さんは一人で撮影をしに行った。
そして僕は吉原の入り口のお婆さんと話したり、ぐるぐると山のような吉原の地形を歩いたり、
外から覗く一部屋の娼婦部屋で中年の娼婦が疲れて眠っているのを見たり、
すっかりその時間に奇妙な寂しさと魅力のようなものを感じることがあった。
そしてあるとき、若いキレイな娼婦の一人と話していると「あんた、さっき撮影しに来た?」と聴かれたことがあった。
友達です、と応えた。その娼婦は小谷さんの撮影を断った、と言う。
どうして、と僕は聴く。怖いじゃんそういうの、残るし、一回会っただけじゃ信用できない、と彼女は言った。
僕は言葉に詰まって好きな映画とかあるの、と聴くと、韓国の映画が好き、女優さんがキレイだからと応えた。
小谷さんはそんななか日に数十人を回り、一日に数人を撮影した。
そして僕と合流して帰り、宿舎で明け方まで話し込んで昼まで二人とも寝る、というような数日が過ぎた。


(4)―
そんな日々も終る最終日。吉原へ歩く道中、小谷さんは三脚をかつぎながら「嫌な予感がする」とずっと言っていた。
実際に撮影に面していない僕にはそれが何か分からなかった。そして吉原へ着き、別れた。
また山道のような吉原をぐるぐる回って、一時間ほどが過ぎた。ふと山頂の場所にきて、僕はハッと背筋が凍るのを感じた。
店の表に出てきて、ひそひそ噂話をする娼婦、経営者の老女。
視界の中央には、この一帯の元締めらしい髭面の男がいて、その前に三脚をかついだ小谷さんがいた。やばい。
鈍な僕にでも一瞬で分かった。しかし、二人が話している場に割って入ることが出来なかった。
ふらふらと近くの電柱のそばに座り込んだ。
一人で撮ると小谷さんが歩き出したのを見送ったことから、中途半端な介入をすることがどこか失礼な気がした。
しかしなにか起こったら走り寄ろう、とだけは思ってその場に座り込んでいた。
緊張した時間、耳を澄ましていると…女の噂の声にまじって、男の怒りを押し殺した声、そして男に全てを話している小谷さんの声が聞こえてきた。
お母さんのこと、お父さんのこと。自分が両親に対しどう思い、いま撮っている彼女達に何を見て撮っているのか。
小谷さんは全部路上で、一から喋っていた。それは行きの電車の中で僕が聞いた時間と、同じ時間だった。
やがて男は、小谷さんを解放して離れた。そして僕らも何も言葉を交わさずまた別れた。
そして集合時間になって帰り、小谷さんは「アタマおかしい奴と思われたやろなあ」と少し悲しそうな笑顔でさっきのことを振り返った。
そして宿舎へ向かって、最後の夜を帰ったのである。

僕はそれまでいくつかの映画の撮影現場に出ていた。
映画に映ることをあらかじめ契約し、求めている人と関係して映画をつくること―。
それは大事だが、「映ること」など想定せず生きてきた人々が、「映ること」によってなにかになるんじゃないか、
と感じ始めて映画に出るということ―。
そっちの方がもしかしたらこれからの映画が産業でなくなりつつある時代、大事になるかもしれない、
小谷さんがやり始めたことはいいと思います、と言った記憶がある。

小谷忠典は20歳くらいから仲間と映画を撮り出し、
数本の手ごたえあるものを作品にしたが「このままではこれ以上映画と、世界とに接近できない」と長年悩んでいたのではないかと思う。
―大阪の風景を撮れば、右に出る者なし。それだけのセンスと底力を持ちながら、
フィクションと大阪から一旦離れ、本当に小さいビデオカメラだけを一人で持って沖縄に渡って撮影し、
セルフドキュメンタリーの形を取る『LINE』を完成させた。
そこには、小谷さんの映画では常に重要なモチーフとして立ち現れていた”親”が、そのままに映画の前に映っていた。

 『LINE』は、映画作家・小谷忠典の過渡期の作品であるが、同時に、
現在映画が不意に出くわしてしまった2010年という過渡期の時期―の空気と、痛切にリンクしあっている映画なような気がしてならない。

2010年、出逢ってから8年。
映画『LINE』をいま東京で観ることができて、本当に嬉しい。

光成菜穂(会社員/『LINE』宣伝協力)
8年前に初めて小谷監督に出会った。

「子守唄」「トンネル」「いいこ。」「LINE」。
小谷監督の作品は一貫して、繊細でデリケートな問題を根本から捉えようとする力強さがある。
感情の流れを録ろうとする演出は言葉の説明がなかなか無い為、汲み取るには難しい人も居るだろうと思う。

だが、監督の捕らえるカメラの視点は独特の空気感を漂わせ、
まるで匂い、温度を感じ、ガラス越にそこに居るように感じる特殊な臨場感をもつ。
そして対象との距離感も独特で、対象から近ずき過ぎる事を制止し、ギリギリのラインまでカメラの視点を迫らせて行く。

その独特の空気感が好きだ。

いつか、小谷作品に係わりたいと思っていたが、今作で関われている事が嬉しい。

服部規宏(音楽家)/大阪・大正区のサウンドスケープ
1999年、映画学校の友人の小谷忠典監督と彼の処女作「トンネル」のロケーションハンティングではじめて大正区の湾岸工業地帯を見た。
鉄の島のような工場群は稼働させても負債しか生まないと言う。
「東洋のマンチェスター」と呼ばれたその地域は疲れていた。

工場から聞こえる鉄の軋み・溶解炉・工業廃水の音と波や強い風のドローン、汽船やトラックが刻むリズムから、人の声、物音が現れては消える。
霧の中から薄らと影が現れまた霧に消えるような感覚。

撮影に入り録音は難航した。
常に流れるドローンは台詞をかき消す。
その時、それ等の音はネガティブなモノとして現れた。
学生映画の為に工場を停止するなど出来る分けがない。
作品が形造られるプロセスの中で、工業地帯のサウンドは大正区と切り離せない切実なサウンドに変わった。
土地・生活と深く関わっている音は強いと気づかされた。
はじめて録音・ミックスした「トンネル」は技術的には拙いが、ぼくに「切り離せない音」を教えてくれる切実な作品として常に現れる事になるだろう。

小谷監督は、その後も大正区を舞台にした作品を作り、今回「line」というドキュメンタリー作品が東中野のポレポレで5月22日からレイトショーが決まった。
カメラマイクで録音された素の音は荒く、人によっては聞き辛さを感じるかもしれない、ただそこには大正区のサウンドスケープから感じたモノがある。
ソフティケートされてないサウンドからはより生めかしくそれ等が伝わってきた。

他者の切り離せない・切実なモノを見つめ、耳を傾ける。
「line」という作品の強さの理由かもしれない。

熊谷まり(イラストレーター)
「いつもは暗くして脱ぐから、明るいと恥ずかしいね」そんな言葉だったか…、
映画の中の女のつぶやきがなぜか私には引っ掛かった。

そう…。
私自身も同じだ。
いつも暗くしている。
それは服を脱ぐ…ということだけではなく、
すべてにおいて…。

突き詰めるのが恥ずかしくておどけてしまったり、
向き合うのがこわくて忙しいふりをしたり、
思い出すのがつらくて考えるのをやめたり…。

電気を明るくつければ見えてしまい、向き合わざるをえないことから、
いつも暗くして目を背けている。
電気の消えた真っ暗な中で、自分の一部分であるはずの傷やシワや苦しみを、
やりすごしている。
見えないふりをしているのではなく、
真っ暗だから本当に見えないのだ…と自分に言い訳しながら…。

この映画は、そういう暗闇に、あえて灯りをともしてみたのかな…。

それまで見てこなかったものにそっと灯りをあてながら、
これまで暗くしてきたことの言い訳をするわけでもなく、
ただ明るくなったところをじっと黙って見つめて…。

見たくなくて暗闇に置き去りにしていた世界であるはずなのに、
監督の視線には温かな「愛情」がある。
苦しめられたはずの父親に対しても、
傷を持っている女性に対しても、
境界線を越えて踏み込んでいくようなことはなく、
そっと立ち止まりながら静かに見ている。

自分の一部分である傷やシワや苦しみを、
見ないふりをするのはやめて、
そっと受け入れていこう…
そんな考えに至ったのは、映画を見てから2日たってからのことだった。

越川芳明(明治大学教授)
沖縄生まれでアルコール中毒の父、大正区生まれの「僕」の曖昧なアイデンティティ。「僕」の子ではない、小学生の息子がいます。監督自身の内なる「オキナワ」に迫った傑作です。沖縄の遊郭地帯(コザ吉原)で撮った娼婦たちの肉体の傷痕や刺青、大正区のクズ山、「僕」と父親の散らかったアパートなど、けっして綺麗とはいえないモノを撮りながら、血のつながったり、繋がらなかったりする親子の絆(ライン)をさぐります。冒頭の、川の水にたゆたうビルの影のシーン、最後のベランダに立つ父の顔のショットが秀逸です。と同時に、カメラによって娼婦の裸体や顔を撮りながら、それが「暴力」にならないのは、監督自身が自らの「恥部」をこの映画でさらしているからだろう。

佐藤健人(映像作家)
多くのドキュメンタリーは、インタビューや会話といった“言葉”によって人となりを引き出しますが、『LINE』は言葉以外のもので人間を描いています。

ドキュメンタリーにも拘らず、計算し尽くされた(まるで写真のような)構図で切り取られた1カット1カットが、もの凄く叙情的です。

特に、売春婦の描き方にはビックリしました。
じっくりと、その肉体や、刺青や、傷や、眼差しを撮る。
それだけで、彼女たちのこれまでの人生が滲み出てくるのです。
言葉で語られるよりも生々しく、彼女たちの心を感じる事ができるのです。

芹澤興人(俳優)
自分が物理的に負った傷は、
傷を負った当初は、その傷の醜さ、事故、怪我を恨んだり後悔したりするものです。
でも時間が経ち、他人にも笑ってその傷の話ができるようになった時、
そこには傷跡だけが残り、その傷跡が愛おしくさえなっていくものだと思います。
このことは心にも同じようなことが言えると思います。
傷口を見つめて、塞いで、膿を出してという作業は本当に大変だけれど、
小谷監督のその作業を映画を通して、僕は見ていました。

小澤真貴子(女優)
言葉にしにくいけれど、よく覚える日常の葛藤を、ありのまま映像にしていた事に救われた。日常こそ映画だった。
映像を観て、単純に視覚の面で、娼婦達の身体は綺麗じゃないなと思った。
触られ過ぎているからなのか。けれど、触られるだけでなく、カメラを通して観られ、映像に残った事で綺麗になっていく気がした。
同時に私の日常も監督の日常も何も変わらないのに、浄化されて行く気がした。


小林理香(フラメンコダンサー)
自分の傷口を隠したがるが、監督は違った。
コザの身を売る女達が裸になるように監督も裸になった。
途方もない愛情に溢れた人間のにおいのするリアルな作品。
監督とその家族を描いて、ポジティブに終わるいい映画だった。